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笠間の地域情報サイト「まいぷれ」笠間市

笠間と言えば「笠間焼」

日用品からオブジェまで、多彩な笠間焼を楽しもう!

笠間焼とは?

 

 首都圏にある焼き物の産地として益子焼とともに有名な笠間焼。

 その起源は「安永年間 に箱田村(現・笠間市箱田)の名主・久野半右衛門道延が、信楽の陶工・長右衛門(ちょうえもん)の指導によって開窯した「箱田焼(はこだやき)」とされています。

 しかし、常陸国の陶器の歴史を見ると常陸国の国分寺が開基された際に、木葉下などから瓦を製造するために多くの窯が開窯されたことが考古学的調査でわかりました

 昭和62年笠間市の大渕で大規模な須恵器の窯跡が発掘調査され、笠間焼の歴史が大きく遡ることに ※「笠間大渕窯跡」
(※この「笠間大渕窯跡」は8世紀後半から9世紀の奈良時代から平安時代にかけての遺跡であり、笠間の窯業がその時代まで遡れることがわかりました。)
 笠間はもともと稲田石の生産地として知られ、花崗岩の混じった粘土により、柿釉と呼ばれる独特な風合いを持つ陶器が作られていました。その陶器以前に須恵器(ろくろを用いて作られた土器の次の世代に属する陶質土器)が作られていたことは、笠間焼の歴史にとってエポックメイキングな発見と言えるでしょう。
 
 笠間の粘土は、いずれも粒子が細やかで粘性が高く成形しやすい一方で、型を使った原始的成形が難しい粘土でもありましたが、8世紀後半頃にろくろ技術が伝わったことによって、型では成形しにくかった笠間の粘土がろくろによる成形をしやすいことが知られました 周囲には、窯業に欠かせない薪や炭を生産する林業の発達していた笠間。大いに陶器の製造が進んだ事がわかりますね。
 
 確かに「箱田焼」や「笠間焼」などの陶磁器生産地としてのブランドは江戸時代後期に始まりますが、それ以前から笠間は関東地方の重要な陶器生産地であったのでしょう。

 まだ「笠間焼」という名前が始まる以前の「笠間焼」その発掘調査はまだ始まったばかりであり、また粘土や出土物などの系統的な位置づけが必要な分野です。

 笠間焼だけでなく日本の陶磁器の伝来や普及については、まだ諸説あり考古学的調査や考証の途上にありますが、それでも笠間焼が日本でも有数の由緒ある陶磁器生産地である事がわかってきました
これから歴史的、考古学的な裏付けがされて「笠間焼前史」が明らかになっていくのを楽しみにしたいですね

笠間焼ポータルサイトができました!

 「笠間と言えば笠間焼」と連想する人は多いと思います。

 笠間焼は「自由な作風で知られる陶芸」として有名ですが、具体的に「笠間焼とはなにか?」と聞かれると、「信楽焼のたぬき」や「伊万里焼の赤絵の皿」、「常滑焼の赤い急須」のような具体的イメージが連想しにくいのも確かです。
 
 そんな「笠間焼」ですが、「笠間焼」の具体的なイメージを『発見』するのにオススメなホームページがあります
 その名も『KASAMAYAKI POTALSITE
 笠間焼の作家さんの紹介オンラインショップ笠間焼関連のイベント紹介など笠間焼の魅力が詰まったサイトです。

 まずは、作家さんの紹介を是非ご覧ください。驚くほどいろいろな種類の器や陶芸アートが並んでいます。初めて笠間焼に接する人も「ああ 笠間焼の『自由な作風』ってこういうことなんだ」と感動できることでしょう。
 笠間焼だけでなく「今の陶芸ってこういうものまで作っているんだ!」と現代陶芸の多彩さも画像とともに見ることができるので、陶芸や骨董好きの方にとっても陶芸の面白さを視覚で楽しめる充実したサイトです。
 ぜひKASAMAYAKI POTALSITEで、自分の「推し作家」や「推しの器」を見つけてみませんか?
 もちろん気に入った作品があればオンラインショップで手軽に購入することもできます。KASAMAYAKI POTALSITEをブックマークして、陶芸の世界の足がかりにしてみてください

笠間焼を知ろう!楽しもう!

情報・写真提供:笠間市商工観光課

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