ふるさと納税で日本を元気に!~笠間市~
世界に一つしかない手づくり陶器! 粘土の心地よさに癒されます。
上の写真は、「粘土手ひねり」の体験をしている様子です。自分のイメージしたものを形にするのはとても楽しみです。
粘土のヒンヤリとした感触が心地よく、作品を作る時間がゆっくりと流れていきます。
笠間焼の始まりの歴史は古く江戸時代安永年間からと言われています。
当時から、甕(かめ)やすり鉢などの日用雑器など、主に生活に密接した陶器を中心として作られていました。
江戸時代の笠間藩主 牧野貞直公自らお庭焼と称し焼きものづくりの窯を作ると共に、藩内の産業を盛り上げるために窯元6ヶ所を笠間藩御用窯「仕法窯(しほうがま)」とし、厚く保護され次第に笠間藩内に広まっていきました。
作業場の側面の壁は土壁になっていて、室内の乾燥を防ぎ温度調節をしてくれるそうです。(製陶ふくだ 作業場)
笠間焼の粘土は、花崗岩が風化により堆積されて地質学で200万年という長い年月を経て粘土に変わったもので、主に市内の山や畑の地下3メートル位の処から出土します。成分は珪石・アルミナ・少量の鉄・石灰・マグネシア等を含んでいます。
経済成長期に全国から作家を受け入れ、伝統にとらわれない自由な作風の産地に発展したのも笠間焼の特徴の一つです。
新旧の窯元が「焼き物の里」として知名度を上げようと1982年に始めた春の陶器市「陶炎祭(ひまつり」は、全国からの焼き物ファンが来場するイベントの一つになっています。
製陶ふくだは、江戸時代に笠間藩から「仕法窯」として受け継がれた窯元であり笠間市のシンボルである巨大花瓶を作った窯元です。
笠間市内の国道355線沿いにあった巨大花瓶を記憶されている方も多いのではないでしょうか?
※2011年の東日本大震災で倒壊して今は見ることができませんが笠間市市野谷交差点付近で絵柄は違いますが巨大花瓶が設置してあります。
1999年に茨城県に寄贈されたこの花瓶の胴の部分には茨城県の県花である「バラ」が描かれていました。また、巨大花瓶の一つは友好親善としてペルー国立博物館へ設置されました。
◇詳しくは…
大空に向かって建つ巨大花瓶は、第五代当主 義右門 実氏の作品で、製陶ふくだの敷地内に設置されています。
笠間焼 仕法窯 製陶ふくだ 第六代義右門勝之氏
「たくさんの方から巨大花瓶を作って欲しいと嬉しいお声を頂きとてもうれしく思っています。何年かかるかわからないですが、巨大花瓶を製作しますよ。」と笑顔で語る勝之氏。
窯元・製陶ふくだの第六代 義右門 勝之氏に笠間焼の歴史と陶器についてお話を伺いました!
■いつ頃から笠間焼を始めたのですか?
>家のすぐ裏手に信楽焼の陶工・園部善六が築窯して甕やすり鉢を製作していました。当時の窯が藁屋根だったので、ある時窯の火の粉が移り火事になってしまったそうです。園部善六は他の所に行くという事になり、それを初代・義右門兼平が買い受けて焼き物屋を始めたそうです。それ以来笠間藩が設置した「仕法窯」の一つとして技術を磨きながら、時代の変化に合わせて生活に密着した笠間焼を作ってきました
■笠間焼で一番こだわっている事があれば教えてください。
>そうですね。笠間焼は生活の中にあってこその陶器です。昔からそうでした。ただ生活環境が変われば使う物も変化していきます。生活陶器としてその時代に合った使いやすく持ちやすい笠間焼を作り、皆様に嬉んで頂ければと思っています。
■体験教室について一言!
>「体験教室」では笠間焼を通して笠間市を知っていただけると思います。土に触れ作品を作る楽しさを味わっていただきたいです。世界に一つだけの作品が出来上がるのは楽しいですよ。
「製陶ふくだ」正面入り口に向かうと丁度良い背丈に植木が刈り込まれ、
高い枝の間から木漏れ日が差し込みまるで一枚の絵を切り取ったかのようです。
店内に入ろうと暖簾をくぐると、可愛らしいシーサーが出迎えてくれます。
2011年東日本大震災により永年火を灯し続けた登り窯は全壊してしまいましたが、
2017年7月に旧来と変わらぬ姿になりました。
発送方法……2名様分チケット(発行~半年有効)
※2名分の陶芸体験が出来、色付けをして、約1ヶ月後に送らせて頂きます。
【陶芸教室内容】
◇粘土手ひねり◇
粘土量…800g(湯呑2ヶ、または茶碗1ヶ位が出来る分量です。)
色…製陶ふくだでお任せいただきます。(当窯の製品と同じ仕上げをします。)
仕上がり期間…約1ヶ月~40日
◇陶芸教室受付時間◇
AM9:00~PM5:00(土日営業)
笠間焼 陶芸教室体験チケット
2名様分チケット(発行~半年有効)
※発送期日:寄附納入確認月の翌月に発送します。