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笠間昔話

奥田製陶所

~タヌキを造っていた製陶所~

同じ頃、登り窯で製作したタヌキの置物。

もっと大きい物は身長の2倍以上あるものもありました

 笠間を代表する窯元のひとつ「奥田製陶所」のルーツは、江戸時代から続く歴史ある窯元です。笠間には「仕法窯(しほうがま)」と呼ばれる、当時の笠間藩御用達の窯元が6つあり、そのうちの1つでした。江戸時代が終わると、笠間の窯元は水がめやすり鉢などの陶器製造に力を入れて、東京などに向けて販売していました。特に水がめは当時の生活必需品であったため、売り上げは好調でした。戦後になり水道が普及すると、主力製品であった水がめの売り上げが減少。閉業する窯元が多く出ました。

 

 そんな中、昭和26 年から笠間の月崇寺(げっそうじ)境内で作陶していた奥田製陶所の初代が現在の場所の権利を譲り受け、「奥田製陶所」としての歴史がスタートしました。元々は信楽の窯元出身だった初代が目を付けたのがタヌキの置物。これを登り窯で製造するのには高い技術が必要で、信楽出身だからこそできた技でした。こうして苦しい時代を乗り越えた奥田製陶所はその後、食器をメインとする現在の笠間焼の姿に変化してきました。平成23年からは「登り窯まつり」を開催し注目を集め、最近では新たなものづくりの担い手の育成を積極的に支援しています。

昭和28年頃の作業風景。

この頃は食器ではなく、灰皿などの民芸品を製作していました

昭和20年代、水がめを作陶中

奥田製陶所の当主・奥田達雄(おくだ・たつお)さん

左側の作業場は江戸時代に建てられた建物

敷地内にある「ツクルイエ45Banchi」

情報・写真提供:笠間ファン倶楽部通信

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