笠間昔話
~江戸時代の笠間城櫓がお堂として残るお寺~
寺のお堂「七面堂」は江戸時代には佐白山にあり、笠間城の物見櫓として使われていました
慶長元年(1596年)に開山した「日蓮宗 長耀山 真浄寺」の境内には、江戸時代に建立された笠間城の物見櫓が残されています。現在は、七面大明神(弁財天とも呼ばれる)、三十番神、鬼子母神の三尊神をまつる寺のお堂「七面堂」として使われています。
お参りをさせていただきつつ、物見櫓として使われていた当時(平時は武器貯蔵庫に、戦時は物見に使用)に思いを馳せてみましょう。建物はケヤキを使った木造二層入母屋造り。白壁が目を引く見事な城郭建築で、茨城県指定有形文化財に指定されています。元々お城があった佐白山の八幡台から、檀頭・園部清兵衛らの尽力により、この地に移築されたのは明治13年(1880年)のこと。昭和49年(1974年)に解体修理が行われ現在に至ります。女性神をまつっていることから当時笠間に大勢いた芸妓からの信仰が篤く、大正14年(1925年)には賽銭箱が奉納されています。この賽銭箱は現在もお堂で使われています。
問/真浄寺(笠間市笠間323-2、tel:0296-72-0090)
第38世住職の小林栄樹さん
芸妓により奉納された賽銭箱。裏側には奉納者の名が記されています
境内に鎮座する「七面堂」
情報・写真提供:笠間ファン倶楽部通信