まいぷれその日暮らし【笠間情報】
伏見稲荷神社よりも60年早い最古の笠間稲荷神社!
笠間稲荷神社の創建は、社伝では孝徳天皇御代の白雉2年(651年)、現在の地にあった胡桃樹の下に創建したものとされています。
白雉2年とは伏見稲荷神社の和銅年間の創建より約60年も前に遡り、日本最古を名乗っている「糸我稲荷神社」よりも一年早い時期となります。
ただしこれは口伝であるため、実際のところは「糸我稲荷神社」の方が確かなのかもしれません。
昔からこの地域には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまがお祀りされていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれています。
ただ、この時期は、現在の日本三代稲荷に数えられるような大きな社殿はなく、笠間稲荷が栄えたのは江戸時代になってからのようです。
寛保3年(1743)には時の笠間城主井上正賢により社地社殿が拡張され、又延享4年(1747)牧野貞通が城主となるや先例により祈願所と定められ、境内地・祭器具等が寄進されました。以来歴代藩主の篤い尊崇を受けました。
その理由として、最初に社殿を拡張した井上河内守正賢の霊夢があります。
彼の夢に白髪束帯の老翁が現れた、老翁は高橋町の稲荷であると名乗り、祠は狭隘で安らかでなく、里人も憂いていると語った。正賢が驚いて目覚めると、枕元に胡桃の実があった。奇異に感じ、従者に確かめさせたところ、確かに高橋町に稲荷社があると判明しました。
正賢は霊験顕著な祠があることを知らずにいたことを悔やみ、祠宇の後、祭器や禮具を寄付し、祭事を盛んに行ったのです。
数年後、正賢が江戸藩邸にいたところ、束帯の官人が胡桃子一筐(はこ)を手に訪れました。
官人は胡桃下稲荷門三郎であると名乗り、先年、君の寄付によって居を広めたことについて、郷人は大いに喜んでおり、私もこれに感動し、今から益々国民を保護しようと語った。
正賢はいよいよ神威を感じ、旗二流を奉納し、笠間においては必ず参拝し、事故があれば近侍を代拝させるようになったといいます。
それ以降、2代目藩主の牧野備中守貞長は、京都(朝廷)に具申し、独立に「神位正一位稲荷大明神」の賜号を受けたことから、笠間稲荷は日本三大稲荷として大きく栄えるようになったのです。
日本最古であるかは、実は謎ですが、お稲荷さんこと宇迦之御魂神への信仰について常陸国での信仰はもっと割り下げられるべきだと思います。
常陸国には鹿島神社や吉田神社、金砂郷神社など、神道の源流に迫るような古い神社が存在し、研究されていますので、笠間稲荷神社の稲荷信仰についても研究がすすんでほしいですね!
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